Feb
10th
Fri
10th
[メモ]
どの経済学者だか忘れてしまったけど、ハイエクだっただろうか、人間や国家によって社会の複雑さを管理できるという思考など、人間の無知を顧みない傲慢さの表れであって、試行錯誤によってのみ「正しい」秩序が作られていくのだ、したがって国家が市場に介入するのではなく、市場の原理に任せるのがよいのだという議論をしていたかと。
でこれは、市場原理なるものが本当に原理的であるのかという問いをひとまずおくにしても、「国家や人間による管理が、原理的にいって不可能であること」(なぜならば人間や環境は時々刻々と変化しているのだから、それを一元的に把握するということができるわけない)と、「だから市場に任せるべきだ」という議論には、クレパス(でいいのかな?雪が積もっているところで、ある場所とある場所の間に裂け目があること)があるように思われる。
確かに市場は、無秩序でありながらも合理性があることは認められようが、ここには市場を自然なもの――人間社会を人工的なものだと見る認識に対置される形で、自生的に存在するという意味で――だと見ている気がしてならない。もしそうだとしたら、マルクスが既に批判していることではないのか。(もちろんだからといって、市場を国家が管理すればいいという話ではないのは、上記に述べたとおりであり、またあくまで「現存」であるが、現存社会主義としてのソ連がどうなったかが示すところであるが。)
どの経済学者だか忘れてしまったけど、ハイエクだっただろうか、人間や国家によって社会の複雑さを管理できるという思考など、人間の無知を顧みない傲慢さの表れであって、試行錯誤によってのみ「正しい」秩序が作られていくのだ、したがって国家が市場に介入するのではなく、市場の原理に任せるのがよいのだという議論をしていたかと。
でこれは、市場原理なるものが本当に原理的であるのかという問いをひとまずおくにしても、「国家や人間による管理が、原理的にいって不可能であること」(なぜならば人間や環境は時々刻々と変化しているのだから、それを一元的に把握するということができるわけない)と、「だから市場に任せるべきだ」という議論には、クレパス(でいいのかな?雪が積もっているところで、ある場所とある場所の間に裂け目があること)があるように思われる。
確かに市場は、無秩序でありながらも合理性があることは認められようが、ここには市場を自然なもの――人間社会を人工的なものだと見る認識に対置される形で、自生的に存在するという意味で――だと見ている気がしてならない。もしそうだとしたら、マルクスが既に批判していることではないのか。(もちろんだからといって、市場を国家が管理すればいいという話ではないのは、上記に述べたとおりであり、またあくまで「現存」であるが、現存社会主義としてのソ連がどうなったかが示すところであるが。)